父はケチではないですし、細かいことを気にしないタイプなので物の値段や食品の価格(食費)にはとやかくいわない人ですが、変なところにもったいない症みたいなのがあって、会社で不要になったものを度々もらってきていました。
20年ちょっと前まで実家はクーラーがありませんでした。ちょっと新しい家だとクーラーがあって、涼しいなぁ〜とうらやましく思っていました。そのクーラーは今よりは性能は劣りますが、壁の上につけるものです。
そんな中、父がもらってきたのは冷蔵庫のような置くタイプの四角いクーラー。居間の真ん中をドーンと占領します。「なにこれ?」遊びに来た友人がそのクーラーをみて驚いていました。今までこんな古いのみたことない・・・と。
しかし、その古いのが我が家にとっては最新だったのです。祖母が自然の風が好きだったので、昼の暑いときは網戸にして窓全開、家のドアも全開。ドアは網戸がないので、虫が入ってくるそんな感じだったので、箱型のクーラーでも、なんだか音がうるさいし、水がポタポタ落ちてくるのでも我が家にとっては良いクーラーでした。
そんな風になんか古いものを色々もらってきていたので、当時は庭の片隅がガラクタの山のようになっていました。今は家を新しくしたので少しを残してだいぶ綺麗になったけど。
2019年06月20日
なんでももらってくる父
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2017年01月22日
ラップを再利用する
この間、ケンミンショーで「使ったラップは捨てずにピーンと張ってもう一度使う」と言っている方がいました。
最終的にはラップはふんわりしている。
その方法、まさに実践しています。
ラップかけて冷蔵庫にいれていた漬物は、食べて残ったらまた同じラップをかけます。これは当たり前かも。
温める際に使ったラップもまた使います。むしろふんわりかけるという温め方もありますしね。
母もラップをなかなか捨てずいました。
食卓におかずを並べる時、台所には食品に面していた部分を上にしたラップがフワフワ何個も置いてありました。
裏返したラップは衛生的ではないかもしれないし、保存にもよくないかもしれませんが、そうやって何度も使っているのが当たり前でした。
たくさんあるラップの中から少し付着しているものでこのラップがこの皿の物だとわかります。ポテトサラダだったらちょっとマヨネーズがついていたり・・・ついていないのは何にでもいいだろうというように。
ラップの代わりになる洗って何度も使えるシリコン製の蓋のようなものも使用していますが、やはりラップの方が使い勝手がよいようです。
そうやって幼いころからラップを捨てずに生活していたから、ラップの再利用が身についてしまい、一度使っただけの綺麗なラップを捨てるのには抵抗があります。
最終的にはラップはふんわりしている。
その方法、まさに実践しています。
ラップかけて冷蔵庫にいれていた漬物は、食べて残ったらまた同じラップをかけます。これは当たり前かも。
温める際に使ったラップもまた使います。むしろふんわりかけるという温め方もありますしね。
母もラップをなかなか捨てずいました。
食卓におかずを並べる時、台所には食品に面していた部分を上にしたラップがフワフワ何個も置いてありました。
裏返したラップは衛生的ではないかもしれないし、保存にもよくないかもしれませんが、そうやって何度も使っているのが当たり前でした。
たくさんあるラップの中から少し付着しているものでこのラップがこの皿の物だとわかります。ポテトサラダだったらちょっとマヨネーズがついていたり・・・ついていないのは何にでもいいだろうというように。
ラップの代わりになる洗って何度も使えるシリコン製の蓋のようなものも使用していますが、やはりラップの方が使い勝手がよいようです。
そうやって幼いころからラップを捨てずに生活していたから、ラップの再利用が身についてしまい、一度使っただけの綺麗なラップを捨てるのには抵抗があります。
posted by メープル at 13:23| Comment(0)
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2015年09月19日
お金を使うお店を『敵』と表現
私の母はよく、スーパーで食材が値上がりしたり、お店のポイントの仕組みが変わって還元率が下がったり、物の値段は変わらずに容量が減ったりすると
「敵も考えたものだ」
と言っていました。
この場合の『敵』とはお店やメーカーなどの私たちがお金を使う対象のこと。
それらを敵と表現しているのです。
ふと思い返してみると、そういう表現をする人も他にいるかもしれないけれど、あまり聞いたことはありません。
「お金がない。」
「お金をあまり使いたくない。」
「節約したい。」
そういう思いからすると彼らは『敵』なのです。
敵に油断するとお金が減っていってしまう。
もちろん本当の敵ではありません。
その考え方が私に根付いています。
「敵も考えたものだ」
と言っていました。
この場合の『敵』とはお店やメーカーなどの私たちがお金を使う対象のこと。
それらを敵と表現しているのです。
ふと思い返してみると、そういう表現をする人も他にいるかもしれないけれど、あまり聞いたことはありません。
「お金がない。」
「お金をあまり使いたくない。」
「節約したい。」
そういう思いからすると彼らは『敵』なのです。
敵に油断するとお金が減っていってしまう。
もちろん本当の敵ではありません。
その考え方が私に根付いています。
posted by メープル at 20:06| Comment(0)
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2015年02月26日
カレーがゆるい
家で食べるカレーはゆるいことが多かった。
よくよく考えてみれば、カレーのルーが少なくて具や水が多かったのでしょう。
母は目分量で大体調理するため、1箱使えば鍋いっぱいに作っても大丈夫だと思い込んでたんだと思います。
さすがに翌日になると固まったりはしていたけれど、お店で食べるものよりは緩かったです。
でも、実際カレーは味が濃いので水分が多くても十分おいしかったです。
具をたくさん入れることで栄養も取れるし、かさましにもなるので良いですね!
よくよく考えてみれば、カレーのルーが少なくて具や水が多かったのでしょう。
母は目分量で大体調理するため、1箱使えば鍋いっぱいに作っても大丈夫だと思い込んでたんだと思います。
さすがに翌日になると固まったりはしていたけれど、お店で食べるものよりは緩かったです。
でも、実際カレーは味が濃いので水分が多くても十分おいしかったです。
具をたくさん入れることで栄養も取れるし、かさましにもなるので良いですね!
posted by メープル at 10:19| Comment(0)
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2014年10月28日
コーンスープ
子供のころ、自販機で買ったコーンスープを「なんでこんなに濃厚なんだろう?」とずっと思っていました。
飲み終わると、缶の底に残ったコーンをなんとか出そうと必死に叩いたり振ったりして奮闘します。
家で飲むコーンスープが薄かった理由
それは母が一杯分の粉で1.5杯作っていたからです。
コップがそんなに大きくないだろうという理由だったそうですが、あきらかに薄い!!
私たち兄弟は薄いコーンスープが当たり前だったため、外出先で飲むものが美味しくて仕方なかったんです。
ケチろうとしたわけじゃないとは思いますが…
決まった量のお湯で飲むのが一番おいしい。
今でも普通のコーンスープを飲むと贅沢な気分になります。
飲み終わると、缶の底に残ったコーンをなんとか出そうと必死に叩いたり振ったりして奮闘します。
家で飲むコーンスープが薄かった理由
それは母が一杯分の粉で1.5杯作っていたからです。
コップがそんなに大きくないだろうという理由だったそうですが、あきらかに薄い!!
私たち兄弟は薄いコーンスープが当たり前だったため、外出先で飲むものが美味しくて仕方なかったんです。
ケチろうとしたわけじゃないとは思いますが…
決まった量のお湯で飲むのが一番おいしい。
今でも普通のコーンスープを飲むと贅沢な気分になります。
posted by メープル at 09:03| 思い出話